近況

ブログ放置していたがぼちぼち再開したい。 放置してた間何してたかというと主にFEヒーローズというスマホのアプリゲームしていた。 このゲームはスタミナ制なので長時間連続してプレイはできないのだが(もちろん課金すればできる)、しょっちゅうゲームを…

因果応報説の起源についての仮説

この記事でこれから述べることは、因果応報説の起源についての仮説である。 最初に因果応報がどういうものか定義すると、原因として善い行いをすれば善い結果が得られ、悪い行いをすれば悪い結果をもたらすとする考え方である。 この考え方は多くの宗教や道…

今更ながらリメイクDQ8をクリアした感想

発売日に買ってラスダン直前で何となく飽きてしまい放置してたDQ8をクリアした。 もう発売から一年以上経つから今更ネタバレしても誰も怒らないだろう。 だからネタバレありで追加要素について感想を書きたいと思う。 いきなりエンディングについて言うと、…

哲学の正体に関する試論―「べき」はどこからでてくるのか―

哲学とは真理を探究することであり、真理とは世界を鏡のように映したものだとすると、哲学は世界の鏡である必要がある。 そして哲学が世界の鏡ならば、哲学はどこまでも現状追認的なものになり、世界はこうなっているのだという説明しかできないはずだ。 し…

今年の目標を掲げる~2017年~

今年の目標は積ん読を消化すること、それにつきる。 本棚の「読んだ本」と「読み返したい本」と「読んでない本」とを見回して、うしろの二つがあまりに多い事に気づいたからだ。 その時本からプレッシャーを感じた。 いや、本からプレッシャーとは書いたが、…

書評 『プラトン入門』R.S.ブラック

プラトンはこの世界に神の目的や計画が存在することに確信を抱いていて、プラトン哲学は目的論を信条としている、という内容の序論からこの本は始まる。 前半でプラトンの生涯をたどり後半に著作の解説をする構成だ。 最近に書かれた本でもないし翻訳された…

情報源としての本と判断基準としての現実

真実は人間が認識する以前から存在すると仮定したなら次のことが成り立つだろう。 それは、真実は本以外にも情報源を持つということだ。 逆に言うと本からしかとってこられないような情報は真実でないということでもある。 なぜなら本の記述以外に根拠を持た…

クリスマス前にあわてて神を駁す

神は信じる者を救わない、と私には思える。 信仰者は神によって救われていると信じているが、実は信仰者を救っているのは神ではない。 それは信仰者自身である。 神などどんな名前の何者でもいいのだ。 信仰するという行為こそが信徒の運命を決めてきたのだ…

理想の暗黒面

理想はどこから生まれるか?――現在の不足感からだ。 人間はありのままの現実に不満だから理想を必要とする。 そして理想とは奪うものである。 理想は今ある現実を犠牲にして将来の約束を与えるが、捧げた現実は戻らず約束も果たされることはない。 もし理想…

「思う」と「書く」は違う

頭の中でわかったつもりになってることも、いざ言葉にして表現してみようとするとなかなか難しい。 難しい原因の一つは、頭の中で考えるときの論理のレベルと表現するとき必要な論理のレベルにギャップがあるからではないかと思う。 表現するとき必要な論理…

真理と悟りについて

朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。これは論語にある言葉で、朝真理を聞いて悟ることができれば夕方死んでも構わないという意味だ。孔子はそれほどの熱意を持って日々真理を探究していたのだろう。孔子には及ばないかも知れないが、私にだって世界の真理…

永遠のテーマ 人生の意味

人生に意味はあるのかないのか、あるとしたらその意味は何か、それは人間にとって永遠のテーマである。以下に私なりに考えたことを述べてみたい。まずこれだけはたしかに言えることだが、人生に意味を見出したから生まれた人などいない。しかし人生は最初か…

ショーペンハウアーの継承者としてのニーチェ

ニーチェは青年時代にショーペンハウアーから強い影響を受けたけれど、最終的にはその影響から脱したと一般に言われている。ニーチェの思想を解説したものも、その大部分は、ほとんど(あるいは全く)ショーペンハウアーについて触れられていない。でも個人…

何度目のブログだろうか

ブログは本来の日記的使い方のものも、アフィリエイト目的のものも何回もやったことはあるけれど、どれも長続きしなかった。 特に日記的なブログはすぐにやめてしまうことが多かった。 きっと私はモチベーションを維持するのが苦手なんだろう。 そんな持続性…