考えたこと

因果応報説の起源についての仮説

この記事でこれから述べることは、因果応報説の起源についての仮説である。 最初に因果応報がどういうものか定義すると、原因として善い行いをすれば善い結果が得られ、悪い行いをすれば悪い結果をもたらすとする考え方である。 この考え方は多くの宗教や道…

哲学の正体に関する試論―「べき」はどこからでてくるのか―

哲学とは真理を探究することであり、真理とは世界を鏡のように映したものだとすると、哲学は世界の鏡である必要がある。 そして哲学が世界の鏡ならば、哲学はどこまでも現状追認的なものになり、世界はこうなっているのだという説明しかできないはずだ。 し…

情報源としての本と判断基準としての現実

真実は人間が認識する以前から存在すると仮定したなら次のことが成り立つだろう。 それは、真実は本以外にも情報源を持つということだ。 逆に言うと本からしかとってこられないような情報は真実でないということでもある。 なぜなら本の記述以外に根拠を持た…

クリスマス前にあわてて神を駁す

神は信じる者を救わない、と私には思える。 信仰者は神によって救われていると信じているが、実は信仰者を救っているのは神ではない。 それは信仰者自身である。 神などどんな名前の何者でもいいのだ。 信仰するという行為こそが信徒の運命を決めてきたのだ…

理想の暗黒面

理想はどこから生まれるか?――現在の不足感からだ。 人間はありのままの現実に不満だから理想を必要とする。 そして理想とは奪うものである。 理想は今ある現実を犠牲にして将来の約束を与えるが、捧げた現実は戻らず約束も果たされることはない。 もし理想…

「思う」と「書く」は違う

頭の中でわかったつもりになってることも、いざ言葉にして表現してみようとするとなかなか難しい。 難しい原因の一つは、頭の中で考えるときの論理のレベルと表現するとき必要な論理のレベルにギャップがあるからではないかと思う。 表現するとき必要な論理…

真理と悟りについて

朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。これは論語にある言葉で、朝真理を聞いて悟ることができれば夕方死んでも構わないという意味だ。孔子はそれほどの熱意を持って日々真理を探究していたのだろう。孔子には及ばないかも知れないが、私にだって世界の真理…

永遠のテーマ 人生の意味

人生に意味はあるのかないのか、あるとしたらその意味は何か、それは人間にとって永遠のテーマである。以下に私なりに考えたことを述べてみたい。まずこれだけはたしかに言えることだが、人生に意味を見出したから生まれた人などいない。しかし人生は最初か…

ショーペンハウアーの継承者としてのニーチェ

ニーチェは青年時代にショーペンハウアーから強い影響を受けたけれど、最終的にはその影響から脱したと一般に言われている。ニーチェの思想を解説したものも、その大部分は、ほとんど(あるいは全く)ショーペンハウアーについて触れられていない。でも個人…